Home 知る まちの今とこれから(まちのこえ)/まちの歴史 山田裕介

山田裕介Yusuke Yamada

山田裕介

山田裕介さんは、立体のインスタレーションを主に制作するアーティスト。「これから面白くなりそうな場所がある」と聞いて黄金町バザールに関わり、自らのアトリエを構えて約9年が経ちました。時期によって関わり方を変容させながらも、アーティストとして黄金町というまちをどう見てきたのか、お話を伺いました。(2019.10.03)

-山田さんと黄金町の出会いと関わりについて教えてください。
大学の先輩の誘いをきっかけに、2010年の黄金町バザールでアーティストの制作アシスタントとして関わったのが最初でした。その後、紆余曲折ありながらも「作家を続けたい」という思いで、2012年から2017年12月まで黄金町アーティスト・イン・レジデンスに参加し、アトリエを構えていました。

-レジデンス中の2016年8月、黄金町BASEというプロジェクトを始められましたね。
base_web.jpg「黄金町BASE(ベース)」は、モノづくりを通した子どもたちの居場所です。僕の他に3人のメンバーとともに始めました。きっかけは、2013年にかいだん広場前へスタジオを移したこと。僕が制作をしていると、子どもたちがスタジオに遊びに来るようになりました。気づくとスタジオの1階だけでなく2階で勝手に遊んでいることもあって、黄金町には子どもたちのための施設が必要だな、とぼんやり考えるようになりました。 そのうち、子どもたちが持っている複雑なバックグラウンドが見えてくるようになりました。言葉でもなく、数字(成績)でもなく、もちろん非行でもなく、彼らが発散できるものってないだろうか?と考えたとき、「モノづくり」ならできる、と。例えば彼らが不満を感じたとき、黄金町BASEならひたすら木を切ったり、釘を打ったりしていればいいんです。

-なるほど。家庭環境や学習環境に影響されず、子どもたちがありのままで居られる場所なんですね。
黄金町BASEには参加費や受講料はありません。アーティストや地域の方から譲り受けた廃材を材料にして、僕たちアーティストは子どもたちが安全に工具を使えるように使い方を教え、サポートしているだけ。だからこそ先生と生徒の関係ではなく、作品をつくっているときの彼らは「アーティスト」であり、僕ら(アーティスト)と対等だと思っています。アーティスト同士の関係は、年齢関係なくフラットですから。

-2017年12月に黄金町アーティスト・イン・レジデンスを卒業され、2018年にエリア内に住居兼制作場所を独自に構えられました。卒業にあたっては何か心境の変化があったのでしょうか。
アーティストが出たり入ったり、徐々に入れ替わるという黄金町の構図について考えるようになりました。ちょうどその頃、アートによるまちづくりが始まったばかりの時期に苦労したアーティストが黄金町を卒業し、詳しい経緯を知らない新しいアーティストに入れ替わってきていたのですが、それでいいのかどうかを考えるうちに、僕も黄金町を離れてみようと思いました。 でもそのとき地域の方に言われたのは、「山田くんが出て行っちゃうなら、黄金町のアートによるまちづくりに協力する意味なくなるね」。そこで僕は「近くに安くて作業できるような場所があれば、僕はここに居たいです」と返したら、その方や色んな人が一生懸命物件を探してくれて、このまちに自分のスタジオを持つことができたんです。

-山田さんに対する日頃の信頼が、地域の方を動かしたんですね。 今年4月にオープンしたアトリエ日ノ出町について教えてください。
黄金町エリアマネジメントセンターを中心とするまちづくりの状況を様々な立場で見てきて、黄金町には老若男女が毎日通える場所が少ないと感じていました。アトリエやギャラリーとして開かれた場所はありますが、もっとアートを愛する人と人が世代を越えて通える場所があったら、と考えて生まれたのが「アトリエ日ノ出町」です。
アトリエ日ノ出町は、子どもから大人まで、幅広い人を対象とした造形教室です。現在は子どものための絵画・造形教室、受験生のための平面絵画教室、大人のための版画教室や水彩スケッチ教室、クロッキー会を運営しています。僕が教えているのは子どものための教室で、他はそれぞれ専門のアーティストが講師を担当しています。
例えばクロッキー会は、10数年市内で続くクロッキー会を引き継いだものです。この会に参加する方の中には、過去の黄金町のことをご存知の方もいらっしゃる。そういう方に黄金町の負のイメージを変えるきっかけを作りたいと思いました。子どもたちの造形教室へも、黄金町周辺だけでなく市内の各地から、約60人の子どもが来てくれています。色んな方が教室をきっかけに黄金町へ足を運ぶことで、新しいイメージを持ち帰り、それを周囲の人に伝えてくれたらと考えています。

-山田さんの活動には「子どもたち」が大きな存在としてあると感じます。子どもたちとこんなにじっくり関わろうと思った理由は何でしょうか?ご自身の制作とどのような関係にあるのでしょうか?
atelier_hinodecho02.jpg子どもたちといることに面白さを感じたからです。制作活動が「自分のやりたいこと」だとすると、黄金町BASEやアトリエ日ノ出町を通して子どもたちと何かやることは「自分がやりたいことだけでなく、もう少し自分の領域を広げてみること」。彼らからは、制作のための「何か」をたくさん与えられているのに、それが何なのかをまだ掴めていない、もどかしい状態です。
自分の中でそれらの関係を例えるなら、制作活動も子どもとの活動も、同じ家の中の似ている場所、キッチンとお風呂みたいな関係です。どちらも水を使う場所であり、管としてはつながっているのだけれど、まだ廊下の場所がつかめていない。接続がうまくいっていないんです。今後もそれが見つかるまではもがき続けるのだと思います。

-山田さんが考える「社会の中でのアーティスト」とは、どういう人たちだと言えるでしょうか?社会の中でアーティストがいる可能性について教えてもらえますか。
アーティストとは、常に何かを変えなきゃ、と思っている人たちのことだと思います。現状のここが変だな、変えたいぞというところを、率先して行動できる人がアーティストかなと。今回のアトリエ日ノ出町は、僕自身の変えたいという思いに加えて、今は亡き友人の存在に後押しを受けて、今自分がやりたいと思うこととしてオープンすることを決めました。
よく「川を作り変える」ことがまちの大きな変化につながるという話がありますよね。今僕がやろうとしているのは、「川を作り変える」ために、まずは想像すること。もともとは彫刻家なので、例えば黄金町というまちを削ってみたらどうなるか、を想像したい。ずっと「モノ」を扱ってきたので、「モノ」ではないもの、「コト」を扱う状態にどうしたらいいかすごく悩んでもいますが(笑)。

-もしかしたら将来、この状況を振り返ったときに、「川を作り変えた」ことにつながっているかもしれないですね。
僕は黄金町がアートのまちであり続けて欲しいと思いますが、同じ状態がずっと続くまちはあり得ないとも思うので、永遠には続かないかもしれない。だからこそ今、アートの痕跡を残さなきゃいけないと思うんです。 僕が出ていくと言ったときの地域の人との会話から、ここは「誰かに変えられ続けてきたまち」なんだということに気づきました。違法風俗店もアートも同じで、そこで働いていた女性たちもアーティストたちも仲良くなったのに出て行ってしまう。地域の人にとっては一緒なんだと。
でも「アートは(違法風俗店の頃とは)違う」ってことをちゃんと証明していかなきゃいけない。本当にまちの人が喜ぶこと、誇りに思うこと、大切なものになること。まちの人たちが「残したい!残さないといけない!」と思える状況にならないといけない。その状況に変えられるのは、アートなんじゃないでしょうか。

(インタビュアー・編集:立石沙織)

まちのこえ一覧Town Voice

黄金町エリアマネジメントセンター

MENU