2014年6月、黄金町に拠点を置く小説家、阿川大樹さんが「横浜黄金町パフィー通り」を出版。翌2015年10月、黄金町スタジオの「劇団!王子の実験室」を主宰する田口浩一郎さんが中心となって、舞台「横浜黄金町パフィー通り」が上演されました。会場はBankART Studio NYK Kawamata Hall。舞台制作には7人の黄金町のアーティストが関わりました。
そして2016年1月、舞台に参加したアーティストが再度結集し、展覧会「帰ってきたパフィー通り」を開催します。彼らは「この展覧会は舞台の成果展ではない」と語ります。搬入作業中のイクタケマコトさん、岡田裕子さん、田口浩一郎さん、山田裕介さん、吉本直紀さんの5人にお話を聞きました。(2016.1.14)
_阿川さんの小説を舞台化しようと発案したのは、田口さんでした。舞台化しようと思ったきっかけや、それにどのようにみなさんが賛同し、参加するようになったのかを教えて下さい。
田口:私は約4年前から、黄金スタジオの1室を借りて劇団の拠点を置いています。その当初から、黄金町にはたくさんのアーティストがいて、さまざまな技術をもった人がいるのだから、舞台人だけで舞台をつくるのはもったいない、なんとか他のアーティストの方たちと一緒に舞台を作りたいと思っていたんです。それで阿川さんの小説「横浜黄金町パフィー通り」がでたとき、これは黄金町そのものをテーマにしたものであって、ここにいるアーティストの誰もが関わることができる作品だと思いました。まずは阿川さんに舞台化の相談をしに行って、快諾していただいて…それから黄金町に拠点をおくアーティストのみなさんに話してまわった。それが「黄金町バザール2014」が始まる直前のことだったと思います。
山田:僕は「黄金町バザール2014」のオープニングのときに話しかけられましたね。僕は黄金町で活動をはじめたとき、誰かに「手伝ってくれないか」って言われたら、極力手伝おうって決めていたんです。作品をつくりだすとずっと一人になってしまうから。
はじめは5センチ角のものを作ってほしいって頼まれたんですけど、どんどんリクエストは大きくなって、結局高さ4メートル×幅6メートルの巨大な木の舞台美術を作りました。
岡田:私は田口さんとスタジオがご近所だったからですかね。あいさつしたことはあったし、田口さんの劇団が演劇の上映イベントを開催したときは観に行ったこともありましたが、それくらいでしたよね。最初は劇中にでてくる「うんこ」の形をしたアート作品を作ってくれって頼まれたんですけど、現代美術家で「うんこ」を作る人ってあまり居ないし、そもそもおもしろいのかなって私が言い始めて。どんどん流れて気づいたらオープニングとエンディングのパフォーマンス全体の企画を私が立てることになっていました。
吉本:僕は田口さんに一度自分の短編の映画作品に出てもらったことがありました。最初は劇中に挿入する映像をつくってくれっていわれたんですが、最終的にはプロジェクションマッピングを担当しました。
イクタケ:僕はみなさんと真逆ですね。自分から参加したいといったんです。僕は2015年4月から黄金町にスタジオを構えたばかりでした。アーティスト連絡会議のときに「舞台やります!」というのを聞いて、これはなにかやらなきゃなって。チラシと劇中映像のイラストを担当しました。また実際のアーティストが舞台上にいたら面白いと思い、出演させてもらいました。
_みなさんそれぞれの専門分野から広がって一つの舞台をつくっていったんですね。それを今回展覧会にするということで、これは舞台作品の成果展と言ってもいいのでしょうか?
イクタケ:成果展、そうなるのは避けようって話しています。こういう舞台をやりましたっていう資料展示にはしないようにって。
山田:舞台化されたときに原作者の阿川さんが話していたのは、「私が書いた小説に、誰かが反応して化学反応のような現象が起きて舞台になった」と。その派生した舞台からさらに化学反応して生まれたものが、この展覧会だと思ってるんです。だからこの展覧会を黄金町のアーティストやまちの人、見にきてくれた人が何か感じてくれて、ここからまた派生するものが生まれたりしてくれればいいなって思っています。それがここでやる重要なことかなと。
田口:舞台の脚本も、基本的には阿川さんのお話に忠実に書いていますが、最後に「ぼくらのアーティストの意見としてあえて書かせてもらうなら」と、2015年の現在的な問題部分を付け加えて、小説とは少し異なる舞台作品として完成させています。
_小説の「横浜黄金町パフィー通り」があって、さらに舞台の「横浜黄金町パフィー通り」が新しく生まれて、さらにいま展覧会の「横浜黄金町パフィー通り」として新しい化学反応が起きる/起きているということなんですね。
イクタケ:ここ黄金町で原作が生まれて、BankARTで舞台作品になって、また黄金町に帰ってきたという意味もあって「帰ってきたパフィー通り」っていうタイトルになりました。
岡田:展覧会として構成し直してもう一度見せる意味は、結構あると思っています。こういうこと(舞台化に黄金町のアーティスト達が関わったこと)があったと改めて伝えたり、これからのことにも繋がったりするかもしれない。舞台以上に展覧会ってそういう作用があると私は思っていて。舞台の特徴として一過性であることが大きいかなと。もちろん観客が見終わってから持ち帰るものはあるけど大方は観て現場で満足して終わってしまうというか。
田口:物語の最後に結論を与えてしまうんですよね、「ストーリー」というものが。それによって「ああ、終わった、面白かった」で終わってしまう場合は結構あります。展覧会の場合は自分で結論を出さなくてはいけない部分があると思うので、家に持ち帰って反芻するということができるんじゃないでしょうか。
_今回みなさんが「横浜黄金町パフィー通り」という作品に関わって成果や今感じていることはありますか?
吉本:黄金町の状況みたいなことをいろんな人に伝えるって言う意味では、すごく良い機会になっていると思います。演劇や映画は総合芸術ってよく言われますけど、みんなでこういうふうにやれるのはあるべき姿だなあと。だから次もまた違うかたちで、みんなで関わっていければおもしろいなと思います。
岡田:あの舞台をお客さんとして見ていた人はあんまり気がつかなかったかもしれないけれど、すごい特殊なチームだったと思うんですよね。舞台芸術でいろんなアーティストたちがコラボレーションすることって実はあまりなくて、お互いに表現ジャンルで閉じられた世界にいる。でも黄金町のアーティストって、他の「アーティスト・イン・レジデンス」に比べてジャンルの振れ幅が広い。美術のアーティストだけでなく、阿川さんみたいに小説の人がいれば、カフェの人がいて、あと演劇の人もいる。だからこそ生まれた表現ですよね。
さらには、阿川さんの小説やこの舞台で「アートはこの世の中/社会に必要かどうか」という話が繰り返しでてくるのですが、これは「黄金町」というまちとか、広義での「アーティスト・イン・レジデンス」「現代美術」の存在意義にも関わることだと思う。社会とアートの断絶具合と交わりというのを再度考える機会になりました。いろんな立場の人がいて、そこにはやっぱり壁があって、すぐに解消できるものではない、でも解消できないからといってやらないのでは何も始まらない。今回関わって良かったし、ジャンルの壁を超えるいい機会でした。
イクタケ:「横浜黄金町パフィー通り」は、僕らアーティストが黄金町にいる意味を突きつけられている物語だと思っています。住民の方にとっても、町と「アート」の関わり方を見つめ直す良い機会になれば。時間が経って知らない方もいるでしょうし。
それをこの展覧会でみなさんが感じて、考えてもらえたら嬉しいです。
<プロフィール>
田口浩一郎:脚本家、演出家。『舞台版 横浜黄金町パフィー通り』の脚色及び総合プロデュース。
山田裕介:彫刻家。舞台美術「木」制作。
岡田裕子:美術家。OP,EDのパフォーマンスとビジュアル制作担当。
イクタケマコト:イラストレーター。チラシ・劇中映像用イラスト担当。出演。
吉本直紀:映像作家。劇中映像制作担当。