協議会役員であり、イベント時にはまちのガイドボランティアも務める日ノ出町住民の小串文俊さんです。
_まず、このまちに住むきっかけは?
小串:私は鶴見区の出身で、日ノ出町は妻の実家でした。結婚を機に日ノ出町に移り住んだのが約30年前です。当時の日ノ出町近辺の高架下は、古い木造の一般住宅や店舗が建ち並び、違法風俗店舗は黄金町側にある程度。横浜の下町に引っ越してきた感覚でした。
_京急高架補修工事をきっかけに、またたくまに違法風俗店舗が拡大しまちが様変わりしますね。(2005年時点で約250店舗)住み続けることにとまどいはありましたか?
小串:ご近所さんもどんどん引っ越して、同じ並びでは私達の家が最後に残りました。初黄町と日ノ出町の両町内会や伊勢佐木警察署へ相談にいきましたが、当時の法律では取締りが難しかったようです。引っ越しも真剣に考えましたが、小串家が先祖代々受け継いできた大切な土地です。私自身もこのまちの住み心地に強い愛着を感じていて、とても迷っていました。
_2003年には両町内会が手を組み「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」が発足します。小串さんも役員のひとりですが、活動に参加されてどんな印象を受けましたか?
小串:町内会や警察、行政、PTAなど様々な組織のひとたちが、一枚岩になってまちを変えようとする真剣さを感じました。現実にはまだ環境はひどいものでしたが、心強く希望がもてたことを覚えています。
_2008年黄金町バザール開催以降、「アートによるまちづくり」が現在まで続きます。読者のみなさんに、伝えたいことはありますか?
小串:マイナスのまちが0地点に戻って、「ふつうのまち」になることがゴールだと思っていました。いまは、「アート」「個性的なお店」やほかにもいろんな要素が混じり合ってプラスαのおもしろいまちになったら良いと思います。そのためにはもっとたくさんのひとがアイデアを出し合えたら良いと思います。ぜひ、ワンデイバザールなどイベントや協議会などに足を運んでみてください。